故・佐藤勇治先生お別れ会の報告 [2023.10.22]

文:私塾ネット副理事 中村直人


私たち私塾ネットの重鎮、調布学園の佐藤勇治先生が今年7月9日に逝去され、告別式が12日家族葬として執り行われました。その連絡に皆大いに驚き、偲ぶ会を開かなくてはと思っていたところ、埼玉県私塾協同組合の坂田義勝理事長から「故佐藤勇治先生お別れ会」のご案内が来ました。坂田先生は、佐藤先生のライフワーク「私塾の歴史資料館」ほか私塾の歴史書編纂など長く献身的に佐藤先生を支えてこられました。

さて、爽やかな秋晴れの10月22日(日)に大宮サンパレスGLANZ5Fダイヤリーの間で各界29名の先生を慕う方々が集い「故佐藤勇治先生お別れ会」が開催されました。久しぶりにお会いする方々が多く和やかな雰囲気の中、坂田先生の司会・進行のもと、会が始まりました。

まず初めに、坂田先生が佐藤先生の略歴を紹介されました。先生は1935年(昭和10)年2月生まれで、今年88歳の米寿を迎え、坂田先生が贈られたお花を大変喜ばれたそうです。その2か月後お会いした時の、「私は、百歳まで頑張っていきます。」という力強い言葉の後の笑顔が今でも心に焼き付いていると話されました。「私たちも頑張って支援いたしますから、先生どうぞ長生きしましょう。」と応じたそうです。6月ごろ体調を崩され、入退院を繰り返し、7月9日にご自宅で静かに息を引き取られたということです。

1958年(昭和33年)学習塾 調布学園 設立
1981年(昭和56年)全国私塾連盟 全塾連統一テスト実行委員長
1999年(平成11年)全日本学習塾連絡会議幹事
2000年(平成12年)NPO全国教育ボランティアの会事務局長
2001年(平成13年)全日本私塾教育ネットワーク(私塾ネット)初代事務局長
一部省略
2008年(平成20年)「社団法人全国学習塾協会設立20周年記念誌」制作委員長
2012年(平成24年)「学習塾百年の歴史・塾団体五十年史」編集・発刊 ※6年の歳月
2016年(平成28年)「私塾の歴史資料館」設立 同館長※蔵書約1万冊・写真約5万枚
2019年(令和元年)「私塾の歴史資料館」ホームページ運営事務局長
2022年(令和4年)「私塾・私学・企業教育ネット要覧」第21集発刊

以上各項目について具体的な内容も含めて詳しくお話しされました。

献杯が終わりましたら、特にどなたがということではなく、会食をしながらテーブルごとに皆さんお一人ずつ佐藤先生を語っていただければ佐藤先生も喜ばれるでしょうと締め、坂田先生の冒頭のご挨拶が終わりました。

次に献杯。「それでは今日、故佐藤勇治先生の偉業を称えるとともに、これからも天国から我々を見守ってくださいということをお願いしながら、献杯いたします。献杯!」

以下紙面の都合もあり、参加した方のお話のいくつかを要約して掲載させていただきます。

◎大島九州男先生(参議院議員・公益社団法人 全国学習塾協会 顧問)

色々な会でお会いしても佐藤先生には親しみを感じておりました。社団ができた時からお付き合いさせていただき顧問をしております。民間教育がフリースクールも含め公教育の中にも入り、日本の教育を高めていくお手伝いをしていく所存です。

◎仲野 十和田先生(ナカジュク・私塾ネット関東)

私塾ネットは3団体の合同でできました。全塾連が一番大きく、そこの佐藤先生が私塾ネットの初代事務局長に就任され、誰もまねできない抜群の事務能力を発揮されました。翌年佐藤先生はネットワークが苦手ということで私を後継の事務局長に指名されましたが、それは大変なプレッシャーでした。ですが先生には沢山のことを教えていただきました。本当にありがとうございました。

◎鈴木 正之先生(いぶき学院・私塾ネット関東)

佐藤先生にはいろいろとチャンスを与えていただき、人の結びつきを頂き成長できました。先生と会わなければ、ここに立つこともなかったかもしれません。先生は、人を育てられる人間・人と人を結びつけられる人間と思っておりますし、私も少しでも先生に近づけるように頑張りたいと思っております。

◎谷村 志厚先生(AIM学習セミナー・私塾ネット関東)

本日の会は本当にありがとうございます。私塾ネット誕生前、私はPTFの事務局で、当時仲野先生は日本私塾会におり、全塾連の佐藤事務局長と3団体合同の打ち合わせ会議でお会いしたのが最初です。各団体の事務局を務めながら、立派な私塾の歴史書を編纂されたこと、そして我々の会また学習塾業界全体に対する功績を深く心に刻んでいるしだいです。本日は楽しい一日で佐藤先生をお送りしたいと思います。

◎中嶋 浩一先生(一橋大学名誉教授・天文学者)

NPO教育ボランティアの会で星の話などをしております。80才を過ぎていますが、現役で昨日も子供相手に宇宙の話をしてきました。これも、佐藤先生のおかげと感謝しております。

◎稲葉 秀雄先生(公益社団法人 全国学習塾協会)

社団の20周年記念誌作成時、社団には資料がなく、佐藤先生の所にあり、制作には大変お世話になりました。

◎松本 紀行先生(チャレンジ学院・私塾ネット中部)

略歴を見て、先生に指導を受けてかれこれ42年ほどになります。本日も懐かしい方々にお会いできました。佐藤先生は、お亡くなりになってもこのように人と人を結び付けて下さる。つくづく感謝しております。

◎加藤 麻由美さま(株式会社 塾と教育社)

先生はいつも笑顔で色々な事でお声がけいただきました。2014年に日本民間教育大賞を菅谷さまと受賞されましたことが昨日のことのように思われます。今年の3月の民間大賞の会にもお見えになりましたが、まさかこのように早くお亡くなりになるとは、残念です。先生には大変感謝しております。本当にありがとうございました。

◎龍井 郷二先生(STEP)

佐藤先生といえば、驚異の実務能力・驚異の編集能力・驚異のコーディネート能力。学習塾百年史の歴史に残る資料は佐藤先生の驚異の実務能力なしには生まれなかった。また、カチャカチャという長いFAXが思い出されます。息子さんを一時期STEPでお預かりして一緒に仕事をしたりと、色々お付き合いがありました。佐藤先生には感謝しております。

◎菅谷 友豊子先生(慶応受験会)

皆さんに是非知っていただきたいので、私、中村がお話をまとめました。
▶1.学習塾の歴史を残さねばならないと歴史家に言われた。当事者が書かねばならないと、足掛け8年かけて佐藤先生とコンビで社団の20周年記念誌と学習塾百年の歴史・塾団体五十年史を作り上げた。
▶2.菅谷先生が最後の原稿を送った日に、脳梗塞で右半身不随・左顔面麻痺、声も出ない状態になる。入院先にも佐藤先生のFAXが来る。病院にパソコンを持ち込み指一本で打ち込む。それを旦那様にFAXで送ってもらう。
▶3.退院した後に発送伝票作りも頼まれる。これも完成させてその日に2回目の脳梗塞になる。佐藤先生の奥様も倒れられ、結局入退院を繰り返したのは2、3人ではないと思われるとのこと。菅谷先生は、リハビリに励まれ奇跡的にほぼ完全回復しております。
▶4.佐藤先生は、100年史には広告を一切載せず、浄財だけで作り上げることを決意する。一番頼りにしていた方に「No」と言われても、全く佐藤先生はブレなかったそうです。

50年代~70年代半ばまでの塾業界のことを知っている先生方は、ほぼ鬼籍に入られているので、もう誰もその歴史は書けないと思います。佐藤先生はお亡くなりになりましたが、塾という民間教育の歴史の第1級資料として「学習塾百年の歴史・塾団体五十年史」は永遠に残るでしょう。まさに金字塔です。