追悼特集|實吉幹夫先生

2005年、大井町から教育を考える会(OKK)の情報交換会後の懇親会。左から、鈴木正之先生、鎌田先生、實吉先生、鈴木清彦先生(現OKK副理事長)、後ろは辰巳先生と木谷先生。

前東京女子学園理事長校長の實吉幹夫先生への追悼文を、鈴木正之会長を通じて、昨年まで實吉校長の右腕として活躍をされていた、元教頭の辰巳順子さんにお願いをした。そして珠玉の一文をいただき、故人の心温まる人となりに接することができた。辰巳さんに感謝したい。(編集部)

實吉幹夫先生を忍んで
東京女子学園元教頭 辰巳 順子

實吉先生は、昭和60年に私が専任教員になった翌年に東京女子学園に来られました。その時学校は3棟あるうちの2棟が新築中で、その一つに当時では最新式の英語LL教室が設けられました。實吉先生は、まだ新任の私をその部屋に連れていき、LL授業に必要なソフトをできる限り全部そろえて欲しいと依頼されました。楽しい英語教育を目指していた私は、前任校では、LL授業が大好きで思い切り楽しくカラフルな画像や動画を使って授業をしていましたので、うれしくなってすぐにお引き受けしました。予算はかなり高額になってしまいましたが實吉先生はすべて引き受けてくれて、誰も使おうとしていないLL教室を自由に使うように指示されました。私にとっては夢のような出来事でした。この時、私はこれからの英語教育に理解があり、私を応援してくれる實吉先生について行こう、と決心しました。このあとも、英語のスピーキングやリスニングの力を伸ばす新しい教育方法や、アメリカ、オーストラリア、セブ島への英語研修の開始や改善を、費用がかかるにも関わらず、応援してくれました。反対もあった中で、實吉先生の応援がなければできなかったことばかりで、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

實吉先生は学園に来られるとすぐに自分がやるべき仕事として、広報活動をお始めになりました。塾の先生方の集まりには積極的に参加し、2次会、3次会と最後まで残られる、と言われていました。塾の先生方とビールを飲みながら、あれこれと議論をすることを楽しみにしていました。 

實吉先生は、教育には理念が必要で、すべての教育方針、授業目標はその理念に基づいていなければならないとお考えでした。常に教育関係の本を数冊抱えていらして、本校の教育の方向性について考えられていました。当時、他校の若く情熱あふれる先生がたが7〜8人東京女子学園に集まり、實吉先生を中心に教育の在り方について熱い議論を交わす研究会を開いていました。十数年も続いていたと記憶しています。そのメンバーの先生方はそれぞれの学校で教育改革を進め、教頭や校長になって活躍していました。この先生方の絆も塾の先生方の絆と同じように、實吉先生の強いネットワークの一つになったのだと思います。

私は、「楽しくなくちゃ英語じゃない!」をモットーに生徒が大好きなニンテンドーDSやiPadを取り入れたり、本校独自の英語合宿や生徒の立ち居振る舞いを直すために礼法の授業を企画したりしました。新しい取組みが好きで、次から次へと企画書を出す私に、實吉先生はいつも、まずは本校の教育理念とのかかわりをしっかり考えるようにと諭されました。わかって頂きたくて、早く実行したくて、不得意な理屈を重ねて戦っているつもりでした。實吉先生がお引きになる直前にそのことを思い出話としてお話ししましたところ、「でもね、思い出してよ。あなたの要求は最後にはすべて全部通したでしょ」と言われました。なんとか理屈を作って戦っているつもりでしたが、実は暖かい大きな力に包まれていたのだな、とつくづく感じました。

また、實吉先生は、理屈抜きに生徒が大好きで、本当に愛情を持って接していらっしゃいました。学園生活だけでなく、彼女達の将来の幸せまで考えていました。全校生徒の名前をフルネームで覚えていらして、出身塾、部活、家庭環境、どんな科目が得意で最近急に成績が上がったか、下がったか、など、コンピューターのようでした。校内では生徒には機会さえあれば、声をかけていました。廊下ですれ違う時、エレベーターの中で、中庭のベンチで。「よく英検2級受かったね、がんばったね」「テニスの試合、すごかったね」「この前のSDGsのプレゼン、すごくよかったよ」などなどです。先生達の会議や雑談のなかで、卒業生の話がでると、その学年担当や担任よりも、實吉先生が一番よくその生徒のことを覚えていらっしゃいました。私のフェイスブックに「實吉先生のお別れの会」の記事を載せたところ、多くの卒業生からメールが届きました。生徒は、校長先生から話しかけられたこの一言を中高の懐かしい思い出として大切に覚えていました。

卒業式のときは、卒業証書を校長から、生徒ひとりひとりに渡すのですが、その時に、校長とその生徒にしかわからない言葉を据えて、渡していました。「迷っていたけど、看護学部を選んでよかったね。頑張ってね」「お母さんに感謝しなくちゃね」「君が卒業しちゃうと叱る生徒がいなくなって寂しいよ」壇上で思いがけず校長先生からの声を掛けられて、嬉しくて泣き出したり、握手を求めたり、笑いだしてしまう生徒もいました。卒業式のときに校長の隣に立って卒業証書をお渡していた私にしかわからない風景で、私はいつも、その温かさに感動していました。

たまに、生徒同士でトラブルがあって、学校をやめていく生徒もいました。不満を持っている親も、担任、学年主任、教頭と話し、最後に實吉校長と話をすると、一転して感謝の気持を持つようになることも多かったです。實吉先生は、生徒には将来幸せになって欲しいと心から願い、他校に送り出すにあたって、その生徒の将来を考えて、一番いい進路を保護者と一緒に考え、ご自身の広いネットワークの中で、転校先の学校に受入れをお願いしたりしていました。その学校を卒業すると、親子でお礼に實吉先生を訪ねてくることも多く、私も陪席してうれしかったです。

實吉幹夫先生、東京女子学園のために、東京私学のために、全力で貢献なさり、本当にお疲れさまでした。お別れの会のときに息子さんから、先生の最後のお言葉が、「ありがとう」だったとお聞きしました。實吉先生、本当にありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りいたします。

OKKの柱石だった實吉幹夫先生を偲んで
エリア関東・OKK理事長 木谷朝子

世の中には、年齢を感じさせずいつまでも生き続けると思わせる人がいる。そんな人が亡くなった時の衝撃は、思考を止めさせ全てを無にしてしまう。その極限状態を作ったのは、實吉先生の訃報だった。お会いするといつも気さくに、「よっ!元気」と肩をたたいてくれた先生が逝かれた。残念な、残念な現実がここに存在する。

思い起こせば十数年前、現私塾ネット会長の鈴木正之先生と二人でアポイントも何もなく、實吉先生にお会いした時の事が、鮮明に思い起こされ脳裏に焼き付いている。

OKKの、「品川区大井町から発信して日本の子供たちが、教育を以てより良い方向を目指せるような環境を作りたい。教育こそが子供たちを幸せに導く」という趣旨を完全に理解してくださった。そればかりか、OKK発足を目的とした私学との集会にも足を運んでくださり、「この意義ある会に参加して、発展させよう!」とおっしゃった。正に維新前夜を彷彿とさせる一夜だった。その後もOKKのどの場面でもなくてはならない先生だった。ご自身の立場をひけらかすこともなく、一人一人の精神の支えでもあった實吉幹夫先生の御霊のご平安をお祈りいたします。