日本の近未来教育
駒込中学高等学校
校長 河合 孝允
「IoT」という「黒船襲来時代」に!
教育には普遍性をもって「変えてはならないもの」が根幹にあります。たとえその時代の圧倒的多数が賛成しても、人類史の名において拒否すべき正義を持たなければ、学校は単なる「時の政治」の道具になりさがるからです。
昭和20年3月、米軍による3回の東京大空襲によって本校の周囲は焼け野原となりました。8月15日終戦。復員してきた当時の先生方の当直日誌に語られた私たちへのメッセージが残されています。「福岡に上陸し、煎り豆だけをかじりながら東京に帰って来た。途中広島を通過した時、あまりの廃墟に言葉も出なかった。祖国を守り切れなかった慙愧の思いで涙を留めることが出来なかった。窓ガラス1枚もない、それでもかろうじて残った鉄筋建ての校舎の屋上に立って上野の森を仰いだ時、日本再興の思いを子供たちに託す決意を固めた…」と。
それから75年の歳月が流れました。NHKは終戦75年特集として「あちこちのすずさん」という番組を2年にわたって(4回)放送しています。その取材メンバーに広島や長崎など全国の学校から4校の生徒が選ばれましたが、その1校が駒込の生徒たちです。番組を見た90歳を越える御高齢の方から本校あてに感謝の手紙が届いています。「自分たちが声に出せずに過ごしてきた思いを、貴校の生徒たちが丁寧に聞き出してくれて心より感謝いたします。これで亡くなった戦友たちへの報告ができます」と。
学校の意味とは何か?その一つの回答がここにあるのではないでしょうか?「創立理念を受け継ぐこと!」という。
本校は「慈悲」の二文字を創立理念とする仏教系私学です。浮世は「生老病死」の4苦だけでなく、思いのままにならない苦、誤解・嫉みを受ける苦、愛別離苦、執着心から離れられない苦など「四苦八苦」の世界です。「苦」は同時に「悲」でもあります。わが身に生じる「悲」を、「もう一人の自分」が「慈しみの心」で救い取って行くことが「慈悲」であり「祈り」の本質でもあります。西洋では『われ思う ゆえにわれあり』と自我を捉えますが、仏教では「私はわたしではない ゆえに 私である」と自我をとらえます。即ち、宇宙全体の生命としての大我(仏教では「空」と言います)から、その一滴としての小我(色と言います)として、私はたまゆらご縁(縁起と言います)があってこの世に生まれでている存在であると捉えます。「色即是空 空即是色」と「唱える宗教」が仏教と呼ばれる所以です。
時代は人類史上最大の大変革期を迎えています。AI(人工知能)が人類の数千倍、数万倍の能力をもってあらゆる産業に垂直に降下して来る時代を迎えているからです。それは国家の在り様から社会全体の構造まで大きく変えて行きます。やがて、そのAIチップを脳神経系と接続して世界とつながる[IoT]時代が切って落とされます。だからこそ「人とは何か、生命とは何か」が哲学的に問い直されなければなりません。「慈悲」とは「協力」です。