サロンヒロキ

第101回サロンヒロキへようこそ。12月末、「今月は口内炎できなかったぞ」と喜んでいたら、大晦日に舌に痛みを覚えました。…ヒロキです…ヒロキです…ヒロキです…(意味分かりますかね?)。

「今度の木曜日、フロンターレの選手が来るけど、塾に来る?」
「え! どうして来るの?」サオリ(5年生)は目を輝かせた。
うちが川崎フロンターレのサポートカンパニーであり、コロナ前まで年初に選手が川崎大師参拝の後、地域を挨拶回りするのが恒例であったことを話した。
サオリ「今まで誰が来たの?」
Hiro「大島とか」残念だが、訪問した選手の名前を知っていたのは当時オリンピック代表だった彼くらいだ。中村憲剛や稲本、川島など来て欲しかった選手はたくさんいたが、たいがい試合にあまり出ない若手が我が町に配された。
だから、ひょっとしたら駆け出しの田中碧や旗手など来たかもしれない。三笘や谷口は特徴的だから、来ていないことは確かだ。鄭大世も間違いなく来ていない。選手名を並べるとビッグネームばかりだが、かつて川崎は、フロンターレはおろか、プロスポーツは不毛の地と呼ばれていた。

ロッテオリオンズ(現千葉ロッテ)、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)などが川崎から去っていった。落合博満や北沢豪などスター選手がいても、観客は応援に来なかった。理由はよく分からない。ボクは、川崎球場がぼろくて汚かったり、後者はチケットが取れなかったりの理由で冷めた。友だちにロッテファンなどいなかった(笑)。去って正解である。おそらく、誰かを応援したりする市民性がないのだろう。川崎市出身の有名人を推すようなことも聞いたことがない。うちの卒業生の女優Yをテレビ番組やSNSでチェックしている人など知らない。
だから、富士通を母体とするサッカーチームがとどろき競技場をホームとしてJリーグに参入すると聞いたときは「やめておけ」と思った。ヴェルディも結局ブームが去ると客が来なくなった(このチームは市民にとって黒歴史でしかない)。しかしフロンターレは川崎市の歴史上唯一、市民の心を掴んだ。とにかく地域を回った。特に子どもたちを味方にした。市内の全小学校にフロンターレ計算ドリルを配布した。子どもたちは皆、このチームの虜になった。やがて、彼らは家族と一緒にスタジアムに足を運んだ。試合後のサイン会等で親もファンになった。サオリの家庭も例に漏れず、父親が大ファンだそうだ。
そして、チームをJ1に昇格させ常勝チームの礎を築いた中心選手、中村憲剛は今も市民に愛されている。海外移籍を封印し、川崎に終生残り続けたバンディエラに憧れ、多くのサッカー少年がフロンターレを目指した。彼の偉大さは、引退後もチーム力を落とさない人材を残したその影響力にある。

ちなみにサポートカンパニーの恩恵はほとんどない。それで生徒が入ってきたとかはない。マスコットキャラクターくらい使わせてほしいものだが。そういえば、ある保護者がポケットに突っ込んでいた携帯のストラップを見つけて、「フロンターレファンなんですか?」と尋ねられたことがある。「大島選手、好きなんです」と。彼の背番号は10番である。
一頃に比べてサッカー少年少女(フロンターレファン)はだいぶ少なくなった。スター選手も抜け、2023年はリーグ8位。 さらに今オフ、中心選手3人が去っていく。知っているのは家長、小林悠くらいだ。うちに挨拶に来てくれる若手選手が先輩たちのように代表に入ってくれるのを祈るばかりだ。
「バンディエラ」という言葉の意味を調べたら、イタリア語で「『旗手』『旗頭』を意味し、長く一つのクラブやチームに所属している選手の事」を指すらしい。あ、ボクはうちの塾のバンディエラだ(笑)。憲剛と違うのは、三笘も田中碧も育てていないところだ。
ゴメンナサイ、やっぱりバンディエラとは呼ばないでください。ヒロキです…。
カット!

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