新しい視点で学ぶ日本の歴史 #1 報告 [2023.6.1]

文:いぶき学院 山本 かつい

当塾(いぶき学院)での社会の授業は、集団指導で中学1・2年生が週1日30分、3年生は週1日1時間の時間割で、試験に出そうなポイントをまとめ、授業を行っています。しかし歴史に興味を持つ子も多いので、「もっと面白い授業が出来るようになりたい」と思いながら何年も経っています。

去年10月、TBSで2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文文化遺跡群」に関する番組を偶然観ました。縄文時代のイメージが私の学生時代から、かなり変わったことを目の当たりにして、もっと知りたかった矢先に、田中宏道理事長から、藤岡信勝先生による『歴史勉強会』のお誘いがあり参加させていただきました。

藤岡先生のお話は、「なぜサルから、人類が進化したか?」から始まり、旧石器、縄文時代迄の流れがスムーズで、あっという間の2時間でした。個人的に興味深かった2点を伝えます。

まず1点目は、岩宿遺跡の発見者、相沢忠洋さんのお話です。自転車に乗っている最中に打製石器を見つけたことは、中学時代に聞いたことがあったのですが、まさか納豆の行商中だったことは知りませんでした。相沢さんは、日本考古学界において、「日本の歴史は、縄文時代から始まる」が定説だった頃、噴火が多く人が住めないだろうと考えられていた、旧石器時代に形成された関東ローム層の中から、黒曜石製の槍先型打製石器を見つけました。しかし当初は、考古学者らには認められません。その後に、明治大学の助手が興味を持ち、本格的に調査隊が組まれる迄には、大変な苦労があったと思います。又、実は相沢さんは家庭が恵まれず、さみしい少年期を過ごした経験から、やがて「日本列島で、『一家団欒』はいつから始まったのか?」という想いが生じます。その想いが、考古学を独学し続け人々を動かし、日本の旧石器時代の存在を証明するという、常識を覆してしまう行動力につながった勇気のある人物だったことは驚きました。

2点目は、約1万6500年前(紀元前1万4500年前)から、煮炊きをし、定住生活をしていたことです。青森県の大平山元(おおだいやまもと)遺跡から、土器片が発見、その付着物から、炭素年代測定という方法で、年代が判明したそうです。

巨大な縄文集落跡がある青森県の三内丸山遺跡(約5500年前~4000年前)では、出土したヒスイを、組成から産地を特定する方法で、新潟県糸魚川のみの産出であることや、先述した黒曜石も、岩脈から交流ルートが多くあったことが、次々と分かっているそうです。

恐竜の謎も段々解明中で、とある専門家が、「今の子供達が大人の頃には、研究が進み、もっと分かることが増えるだろう。」と言う話を聞いたことがあります。同様に歴史も色々分かるとワクワクするものであることを実感しました。

昔、受験のために、用語を覚える学習が、どんなに無味乾燥したものであったことを今更ながら感じ、本当の学びを追求できる塾人を藤岡先生の勉強会を通じて、目指したいです。

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