講師のための英文法 vol.7(最終回)

近藤 誠介(文化の森スクール・徳島)

英語教育考

「講師のための英文法」を連載させていただいて、2年近くになります。元々は息子のために書き留めていたものですが、ひょんなことから私塾ネット広報に載せていただくことになりました。内容的には、長年英語を教えていて、常々疑問に思っていたこと「三単現にはなぜsをつけるのか」「不定詞は常に原形なのになぜ不定詞なのか」「仮定法の法って何」…に対する、得た答えを書き綴ったものです。文法を理解することで、より深い文章の理解が可能となります。文法などどうでもいい、会話が通じればいいという考えもありますが、訳読か?会話か?などの議論は、実は、明治時代より数多く繰り広げられてきました。

■小学英語教育の賛成論
①外国人との意思疎通のため
②進学準備のため
③児童は模倣・記憶能力が高いから
④英語は国際語だから
⑤貿易・学術移入に必要だから

■小学英語教育の反対論
①児童の思考力等の不足・過重負担
②教師の能力不足・供給不足のため
③児童の英語力・運用力不足のため
④英語は生活・仕事に不要だから

以上の論点をどう思われますか?実は、これは“明治期”の教育雑誌等に掲載されたものです。とても百年以上も前の論議とは思われません。

ここに、岡倉由三郎―岡倉天心の実弟で、英語英文学・英語教育・言語学・国語学の大家―が1911年の『英語教育』に発表した小学校英語教育に対する意見があります。

「その成績は今日までまだ見るべきものをだしたことが無い。してみれば理論上より見ても、また実際の結果より見ても、小学校に英語科を置くこの無益な次第が解る。」

「小学校の英語は、むしろ名のみに止まって、いわば徒労の事業と見ねばならぬ」

その理由として、とくに教員の力量不足と国語力の養成が先決であることを強調しています。

「初歩の英語教授は最も大切であるから、然るべき教師で無い者が、幼稚なる学生に対して、なまなかの教え方を行うならば、後になって矯正をするにも甚だしき困難を感じる」

高校生を教えていて、このことを痛感させられます。

そして、「実際母国語の知識が、精密豊富なるものは、語学の進歩が著しいということは、学者の定論である。」

実際、外国語は母国語以上の力にはなりません。大学入試を考えて痛感するのは、生徒の国語力の低下です。日本語で読んで理解できない文を英語で理解するのは「無理ゲー」です。

小学校英語教育に関する論争は、全く令和の世にも通じるものです。以上は、『英語教育論争史』(江戸川春雄著)より引用させていただいたものです。

第一章 早く始めれば良いのか?からです。
第二章 優先すべきは訳読か?会話か?
第三章 目的は教養か?実用か?
第四章 英語は全員に必要なのか?
第五章 国際化時代に必要な英語とは?
第六章 外国語は「英語だけ」で良いのか?

どれをとっても、今日的な課題です。そして、どれも未解決です。それにもかかわらず今日、また同じ愚が繰り返されようとしています。

2013年、自民党の教育再生実行本部が「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」を出しました。例の大学入試に外部検定試験の導入というやつです。安倍首相直属の教育再生実行会議には、英語専門家というより、財界の代表の意見等でことが決められました。「役に立つか」「企業の利益に寄与するか」経済界や一部の政治家からの実利的な発想で、「グローバル人材」育成策と相まって、英語教育が実用目的に一元化されてしまったのです。国語教育などもそうですが。個人的には、「人材」という言葉が嫌いです。人って、何かの材料なのでしょうか。経済界で人材登用は結構なのですが、教育の目標としてはいかがなものでしょう。

簡単に「グローバル人材」の育成といいますが、実用レベルに供する英語とは?

では、日本人が英語を実用レベルに高めるにはどれくらいの授業時間が必要とされるのでしょうか。アメリカ国務省語学学校(SLS)の研究によると、外交官などの政府職員を派遣する際の語学教育の目途が以下のようなものです。

到達目標は「自分が専門とする仕事に使えるコミュニケーション力」で、0(運用能力なし)から5(母語話者レベル)の6段階中の3レベル。習得が最も簡単なカテゴリーは、フランス語、スペイン語、イタリア語の英語と同じ語族関係の言語で600~750授業時間。

日本語、アラビア語、中国語、韓国語の4言語はカテゴリー4(超困難な言語)とされ、目標達成まで2200授業時間が必要とされています。外交官のような高いモチベーションと高度な教育を受けた人に対して、優秀な教師が、1クラス4人程度の超少人数教室で、朝から晩までの集中特訓が行われる。さらに半年ほどの留学が推奨されています。

日本の学校教育においての小学校から高校までの英語の授業時間数は、1000時間ほどです。文科省は、学校教育での英検の目標を掲げています。高校で2級では実用とは程遠いのでは。また、TOEICでは専門的なレベルの英語はまったく測れません。(猪浦道夫『TOEIC亡国論』)ところで、仕事に必要な人は人口の2~3%にすぎないようです。

同じ著者が『英語と日本人』に関する新聞のインタビューで、英語の難しさをこう表現しています。

「学校教育だけで『使える英語』を身につけさせるのは、体育の時間だけで五輪選手を育てるのと同じくらい無理難題なのです。」

では、「使えない」英語を皆が学ぶ意義とは何なのでしょう。興味を持ったり必要に迫られたりした時に、自力で学べる「素地」を培うことです。「異文化に触れ、視野を広げることは、日本語を鍛え、思考力を豊かにすることにつながるんです。」

私はその意見に与するもので、限られた時間の中で、大学入試(2次レベル)、そして入学後のことを考えると、一番効果的に向上させられるものは、まずは、読む力です。リスニングにしても、読んで分からないものを聞いて分かるわけはありません。会話は現地で習った方が速いし、安いようです。読み書きのできる人は、すぐにしゃべれるようになりますが、その逆は厳しいものがあります。また、文法をキチンと学ぶことのできるのは、これが一生で最後の機会かも知れません。ここで、英語の先達の勉強法をご紹介します。

南方熊楠は、中学(旧制中学)時代、アメリカ人の書いた『金石学』を、辞書を引きながら翻訳し、英語力を向上させたそうです。中・高生の英語学習において、翻訳が効果的であることを示す好例です。

聞くだけで、英会話ができるようになるというCMはいつのまにか消えてしまいました。最近の英語教育では、文法・訳読中心の授業が批判されることが多いようです。辞書はできるだけ引かず、知らない語句の意味は類推しつつ、大まかな文意を取ることを推奨するむきも多いようですが。紙の辞書を引きながら翻訳するという当たり前の学習法が見直されてもいいころです。

参考文献:江利川春雄著「英語教育論争史」「英語と日本人」、斉藤兆史著「英語達人列伝Ⅱ」
おススメ:鳥飼玖美子、苅谷夏子、苅谷剛彦著「ことばの教育を問いなおす」