寄稿・危機に対応できる教育とは?(小宮山 博仁)

教育評論家 小宮山 博仁(私塾ネット名誉会員)

2020年1月から始まったコロナ感染拡大の危機は現在(4月28日)も収まる様子がない。また、昨年末からじわじわと円安になってきたが、アメリカ経済の復活により物価が高くなりインフレが生じたためだと言われている。原油は1バーレル70米ドル台になり、日本の経済に打撃を与えると言われていた。円安による輸入品価格の上昇と原油高によるダブルパンチで、日本の経済は悪化するのではと、懸念されていた。

コロナ禍で2020年のGDPの減少は-4.6%になり、リーマンショックを超える最大の下落であった。2021年度はプラスの成長率となると思われるが、アメリカやEUと比べると力強さは感じられない。約4か月前は、このような社会状況であった。

コロナ禍と経済不況への懸念の最中に、ロシアのウクライナ侵攻が突如2月24日に始まってしまった。日本の経済が1990年から30年間、徐々にだが弱体化してきたことは、「平成時代」(吉見俊哉)及び「平成経済衰退の本質」(金子勝)で白日の下にさらされていた。この7年間、日銀は金融緩和の政策を続けてきたが、一向に企業投資や個人消費は増加しない状況が続いていた時期での「戦争勃発」である。

日本の食糧自給率は38%(2019年度・カロリーベース)と、アメリカは言うまでもないが、イギリス(68%)やイタリア(59%)よりもかなり低い。産業の発展、維持に欠かせない一次エネルギー(化石燃料・水力・原子力・地熱・太陽光など)自給率は11.8%(2018年)である。化石燃料(石炭・石油・天然ガス)に限ればわずか3.2%である。

このような資源弱小国家は、世界的規模の有事の際には大変リスクが高いということは、前々から言われていた。今回の不幸な戦争でこのことを自覚している日本人はまだ少数派と思われる。実際2021年1月の原油は1バーレルあたり約50米ドル前後で、2022年4月は約100米ドルで約2倍となっている。円相場は2021年1月の約1.25倍(2022年4月25日現在)である。単純に市場原理に任せていたとしたら、原油の輸入コストは(2×1.25で)約2.5倍となる。必要経費のうち、石油などのエネルギーを使用している企業は死活問題になってくる。石油だけでなく、石炭や天然ガスの高騰も続いている。しかもアメリカのインフレ政策と円安によって、身近な消費財も値上がりを続けている。弱体化しつつあった日本の経済はどこまで持ち堪えることが可能なのかは、今のところだれも予想できないのではないだろうか。ここ20年、大企業や個人の貯蓄はふえていた。資産のある企業及び個人は何年かは大丈夫であろうが、ローンをかかえている人や貧困層と言われている市民にとっては、大変な危機になる。さらに分断化した社会になる可能性が高い。

このような危機に対応できる学力・能力は、まず現状を出来るだけ正しく把握する必要がある。今なぜ「危機」なのかを、今まで小・中・高で学んだ知識を総動員して、そして最近のしっかりとした根拠のある知識を集めて、みんなで知恵を集めて対処しなくてはならないことは、言うまでもない。

このような認識を、子どもを教える我々自身が持たなくては、いつまでも「何のための教育か」という当り前のことが、どこかに置き去りにされてしまう可能性が高い。

「危機」の時に改めて、過去に取得した学歴は当てにならない、そして新しい知識を好奇心を持ち学び続けるかが、いかに重要かが明らかになった。私自身は何か仕事をしようと思ったら、学歴は役に立つことがあるという考えである。しかし過去に取得した学歴(知識など)にこだわり過ぎると、目の前の出来事を判断することが難しくなるのではないか。この「学び続ける」源泉は、自然界や、自分自身も含め人間に、そして社会に関心を持つことであることは言うまでもない。

このような学びや教育は、物やお金や資格(学歴など)を得るために競争させるだけで可能であろうか。カリキュラムテスト通りに授業をする、外発的動機づけの勉強だけでいいのだろうか。危機に対応できる学びは、つながりや連帯感を醸しだす「内発的動機づけの学び」ではないだろうか。外発的動機づけの受験勉強は、合格切符を手に入れる手段とわり切っている親子がいるかもしれない。そういう人達は、かなりの税金を使って作り上げた教科書を、受験が終わったらおしげもなく資源ゴミにしてしまうかもしれない。

内発的動機づけの学びの面白さを少しでも体験していたら、そのような行為が「もったいない」と思うのではないだろうか。この「面白さ」は、単に授業の進め方が「上手」だという意味ではない。教えるだけでなく子どもから考えを引き出すことによって、学ぶ動機づけは高くなり、多くのことに関心が向くようになる。授業の技術が高いからといって、内発的動機づけに結びつくとは限らない。ここが「教える」、何かを「伝える」という難しいところかもしれない。まじめなほとんどの教育関係者は、授業をしてから反省して悩むのではないだろうか。私自身、40年間その連続であった。私の体験授業まで持っていくと、ほぼ新規会員は獲得できた。しかし自分の授業は最高だと思ったことは一度もない。そう思ってしまうと、次の授業を工夫することがおろそかになるからだ。授業の進歩はそこで止まってしまう。

自分の授業を検証する能力は、メタ認知の1つであるが、私も含めて教育者は苦手なような気がする。過度な「外発的動機づけの勉強」は、文化資本(知識としておく)を独占し、共有することにあまり関心がない。分断化した社会を助長する面があるかもしれない。一方「内発的動機づけの学び」は、文化資本の共有化に熱心になるだろう。分断化を修復することが可能となる。

このようなことを4年程前から、放送大学の面接授業で伝えてきた。それを中心にまとめたのが、今回明石書店から上梓した「危機に対応できる学力」である。帯の部分のキャッチコピーを次に示しておく。

<「学びの動機づけ」が鍵となる!文化資本、ハビトゥス、認知能力、非認知能力、メタ認知、連帯感、農村共同体―7つの側面から今の社会を読み解き、危機に対応できる持続可能な社会システムのあり方を探求する。>

教育関係者の方に読んでいただければ幸いである。
2022年4月28日 小宮山博仁