エリア四国 近藤誠介(76号)

エリア四国 近藤 誠介 (文化の森スクール・徳島県)

そもそも英語教育って…

■英語教育改革

小学校英語の教科化、大学入試の英語民間試験導入(中止になりましたが)など、今度の一連の英語教育改革は、ある政治家の次の一言で始まったようです。「国際会議のパーティーに出ても、自分は英語で話せない。中学・高校と6年間も英語をやったのに悔しい。そんな英語教育は見直すべきだ。」この人物は、自民党教育再生実行本部長だった遠藤利明議員です。どうも、わが国の教育改革は、何のエビデンスもなく政治家や財界人の個人的な意見に振り回されているような気がします。ところで、国際会議のようなパーティーで、果たして英語でなくて日本語でなら雑談ができたのでしょうか?個人的には、雑談が苦手なのでそう思ってしまいますが。

さて、「読む、書く,聞く、話す」の四技能ですが、これは別々のものではなく、高度な英語力を身につけたうえでの具体的な表れ方であって、いわば結果なのです。それにしても、英語の民間試験導入には、利権の匂いがつきまといます。

■小学英語の問題点

小学英語の教科化の一番の問題点は、教えられる専門家がいないということです。小学校の先生は、はなから英語を教えようとなっているわけではないし、遠藤議員と同じ教育を受けてきているわけで、それで教えようとするのは無茶ぶりです。明治時代の小学校での英語教育について、岡倉由三郎氏(英語学者、岡倉天心の弟)が、「日本語の習得すら不十分な小学生に外国語を教えるのは弊害が少なくない」「外国語教授に十分な支出ができないので、不適な教師しか雇えない」と、教師の質の確保の難しさを書いています。

小学校の英語教育などで、シャワーのように英語を浴びれば、英語が出来るようになるという話をよく聞きますが、シャワーのようにピアノ曲を聴けば、ピアノが弾けるようになるのでしょうか。それなら、僕はジャズピアニストになれます。

■そんなに英語は必要なの?

現在、英語を解する人は15億人ほどいるそうです。といえば驚くほど多いのですが(母語人口は5億3000万人)、しかし他の63億人は英語を解さないのです。ところで、日本人で英語をよく使う人はどのくらい、いるのでしょう。凡そ、2~3%にすぎないという報告があります。このことを考えれば、国をあげて英語,英語、それも、実用的英語と声高に叫ぶ必要があるのでしょうか。徳島に帰って40年以上になりますが、こちらで英語を話したことはありません。「読む・書く・話す・聞く」4技能の高い英語力が求められるのは、全体の2~3%なのです。では、大学に入って求められる力はといえば、まず第一に読む力。理系の共通語は英語ですし、文系も、あわよくば、ロンドン・エコノミストくらいは読めて欲しい。そして、書く力だと思います。だから,二次試験はほとんどそうなっています。

■外国語に英語以外の選択肢は

EUの公用語は、24です。日本の外国語教育は、英語、一辺倒です。グローバリズムに乗り遅れまいと、より、その傾向が強まっているようです。グローバル化といえば、聞こえはいいのですが、英語一辺倒という発想は、周縁からの収奪という新しくない資本主義の論理そのもので、残りの63億人は見えてきません。せめて、高校で、共通テスト科目のドイツ語、フランス語、中国語、韓国語、それに加えてスペイン語、アラビア語なども選択できるようになれば、発想自体が変わってきます。

英語がいくらできても、ノーベル賞はとれません。ノーベル賞を輩出している国、例えばドイツ、フランス、ロシア、そして日本は、自国語で深く考えることができる所以でしょう。また、何より、今の生徒を見て思うのは、国語力の凄まじいぐらいの低下です。私が生徒にいつも言っているのは、英語であろうが日本語であろうが、書いてあることが解らなければ何の意味もない、ということです。実用がお好きで、人文社会科学系がお好きでない?文科省や官邸、財界の皆さんは、日本をどこに導こうとしているのでしょう。すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなります。そのときどうするのか、根本的な考え方を養うのが大学教育、否、教育の根幹だと思います。