追悼特集|平林治先生

平成20年10月12日、全国学習塾協会設立20周年式典にて功労者特別表彰を受ける。
右に田中敏勝、長江勝秋先生。

平林治先生ご逝去に接し
私塾ネット会長 鈴木正之

平林先生と私との出会いは22年前、私塾ネット誕生の2年前になります。私塾ネットはご存じのように学習塾団体3団体(全塾連、日私会、PTF)が1つになりできた団体です。私はその2年前にPTFに入会させていただいたのですが、その時の理事長が平林治先生でした。入会したのは良いのですが、まさかすぐに新団体へ移行する話があるとは思ってもいませんでした。その時、新団体に移行するかどうかの賛否を新米の私にも確認してもらえたことは嬉しく、「平林先生と谷村先生(当時事務局長)についていきます」と即座に答えたことを鮮明に覚えています。他団体のことは解らず新しい団体(現私塾ネット)のことも解らなかったのですが、平林先生と谷村先生との出会いは衝撃的で、とにかくこの2人についていこうと思ったのです。そして私塾ネットの設立のための会議にも出させていただいたり、研修会の実行委員として使っていただいたりと平林先生との関係が近くなっていきました。

私塾ネット設立後、私が広報部長の時に平林先生が編集長をしていただき、益々身近な存在となっていきました。時には叱られ、時には怒られ、時には怒鳴られと、褒められたことは殆どありませんでした。しかし、平林先生に頼まれると妙に嬉しく、断ることは一切ありませんでした。そして時々「ありがとうよ」と言われるだけで満足している自分があった気がします。

平林先生から教わったことは多々ありますが、その中の2つを紹介させていただきます。1つは、“みんな”という意識です。PTFでは会員は全員理事として活動していました。その方が「やりやすいだろう」とおっしゃっていましたが、彼は役職にはこだわりが無く、誰が偉いとか偉くないとかには興味が無く、1人1人大切な役割を持っていてすべての人が大切な存在であると考えていたからだと思います。定例会では全員の先生から平等に話を聞き丁寧に対応されていました。その結果、ほぼ全員(40名以上)参加の定例会を毎月開催できたのだろうと思います。それは私の中では理想の会の運営で、以後それを目指して私も活動しております。

2つ目は“陰で支える”ことです。私は45歳で関東代表、49歳で理事長となりました。若くして任されたのは、内部事情で「鈴木でも仕方がない」ということです。ですから、全く知名度がない若造に対して、周りの反応は「あんた誰?」という感じでした。特に関東代表になるときは、先輩の先生方から反対意見が出て簡単に決まりませんでした。全会一致で代表や理事長が決まらなかったのは後にも先にも、私が就任する時だけだったのではないでしょうか。その時に裏で先輩の先生方に連絡をして推してくれたのは平林先生です。理事長時代も全国の先生方との関係を取り持っていただいたことが何度もあります。誰も知らないところで私はどれだけ助けられたか分かりません。私塾ネット設立において多くの方のご尽力があったことは言うまでも有りませんが、平林先生無くして今の私塾ネットは語れない事を私は知っています。理事長を退いた私は現役員の先生方が働きやすい環境を作ることだと平林先生に教わりました。

本当に優しい先生でした。沢山の愛をいただきました。先生のおかげで今の自分があることは間違いありません。ただ、一つ平林先生との約束で果たせなかったことがあります。それは、私の体調が悪い時、平林先生が「俺より先に死ぬなよ」と言うので、私は「先生の葬式に必ず出るからね」というものでした。コロナ禍ということもあり平林先生の告別式には行けませんでした。「平林先生、約束が果たせなくてごめんね。お詫びに先生あの世で一杯ご馳走するからね」。