サロンヒロキ

死んだ父は優しい人だった。声を荒げる場面には終ぞ立ち会うことは無かった。

生徒や保護者、地域には圧倒的に慕われた。サービス精神旺盛なのである。糸井重里氏(仮名)がボクを関係者に紹介してくださる際に「お父様は“ザ塾長”という方だった」とよく言われる。ボクは今でも父は“塾長”を無理して演じていたように思える(他の多くの同業の方もそうかもしれない)。家庭での姿は、無口で愛想もない、ただの人である。

子どもの頃はいろいろな場所に連れて行ってくれた。仕事が忙しくなり、付き合いが増えてから家庭人の一面はそっと姿を消した。孫たちからほとんど好かれていないことがその無愛想さを物語る。愛猫ミューも1日中一緒に過ごしながら、ついに懐くことは無かった。

ある日ボクは父がTVばかり見て過ごす日々にボケの不安を感じ、映画を見ることを日課にするよう厳命した。体が動かないから、流せば自然と観る羽目になる。星取り表と寸評を記す紙を作り、1枚30本分書ける用紙が6枚近く溜まった。ボクを気遣ってか、すべて★5つ。「面白かった」しか書かない。面白くなくても面白かったと書いている(拷問?)。観ながら寝ている場面をこっちは知っている。

ビッグバンドジャズをこよなく愛し、仕事の合間に演奏活動もしていた。音を吹くのは良いストレス発散だったようだ。死が迫る中、ボクは父のためにプレイリストを作り、ずっと耳元で鳴らし続けた。音楽の力は偉大で、何度かそれで息を吹き返した。

天職とは、存在するものではなく、その人が作り上げるものなのかもしれない。天職から降りていくことはない。ボクは父の真似ができないから、そう思うようにしている。

父を超えることはできないし、そんな気持ちも毛頭ない。だから、自分という個性ある一人の人間を誰も超えることができないよう、ボクは今の仕事を自分のパーソナリティに引き寄せるようにしようと考えを改めた。そうすると不思議と肩の力が抜けた。

「息子」と見られるのは仕方ない。だが今同じ仕事をし、父を妬んだり恨んだりもしていない。この良い距離感のまま、親子の関係を記憶して生きていきたいと思う今日この頃である。

それにしてもあの星取り表はいったい何処へいったのだろう…。

死んだ父は優しい人だった。こんな原稿にも★5つをくれるような。

カット。