「将来なりたい自分」に近づく3年間
校長
石井 和彦
全日本私塾教育ネットワークの諸先生方、こんにちは。日頃は大変お世話になっております。東洋高等学校の石井和彦と申します。ここ3年程、コロナ禍の影響で忘年会など先生方にお会いする機会が減ってしまい、残念な思いを抱いていたところ、昨年6月22日の学習塾協同組合30周年記念式典では久しぶりに先生方の刺激的なお話を伺うことができ、望外の喜びでした。
さて、私は中学・高校時代に「勉強」が不得手で成績も良くなかったのですが読書だけは好きで、大学では近代日本文学を専攻しました。大学では好きなことや新しい発見にのめり込んで、また、個性的な友人たちに出会えて、大学での経験が人生の方向性を決めることにもなりました。社会に出るときに考えたのは、自分より若い人に読書の楽しさや奥深さを伝えたい、ということでした。
このような動機から教職の道に進んだのですが、30年余り担任をし、授業を続け、生徒に接してきて、「学校や教員の使命」というようなことが自分の裡で徐々に形になってきたような気がします。浅薄な考えかもしれませんが、これまでいわゆる「高度成長期」の人生モデルが後生大事にされてきたことのツケが最近になって一気に顕在化したように思われます。その人生モデルとは、一生懸命勉強に励んで良い成績をとって、良い学校に進み刻苦勉励すれば良い企業に入れて年功序列で終身雇用が保証されて円満な人生が送れる、というものです。ところが、そのような価値観、文化等を維持した果てに現れてきたのは何かというと、産業や経済をはじめとする様々な面での衰退と、多くの課題です。日本を代表するような、ある大企業が財政的に破綻し、海外資本に経営権を譲った際に、幹部のひとりが放った「どうしてこうなったのかわからない」という旨の発言が私にとって大きな衝撃でした。
2011年の東日本大震災は多くの人命や生活を奪っただけでなく、日本が抱える諸問題をあからさまにした出来事でしたが、それら諸問題に真摯に対応することがないまま十年余が過ぎています。2019年に発生したコロナ禍は未だ私たちの生命や生活を脅かしていますが、流行当初の混乱ぶりも、今の私たちに足りないものが何かを示していたと思われます。
東洋高等学校では校訓として「自律・共生」を掲げています。これからの社会に必要なのは、一人ひとりが状況を分析し、自分の志向や適性を考慮して判断し、他者と関わりながら行動できることだと、強く思います。教科の勉強は、認識や判断の土台となるものとしてそれ自体が大切なことですが、併せて、学び方を身に付けるという意味で重要です。学校を離れても、一人ひとりが、何を、なぜ、どのような方法で学ぶのか、という学び方を得ておかなければ、これからの流動的な社会で生きていくことが難しくなります。
一方で、通信技術が大幅に発展し情報量が飛躍的に増大するとともに、逆にコミュニケーションが難しくなってきているとも感じます。相手(発信者)の真意を探ろうとせず、二次的な、いわば噂を信じてしまう、とか、物事のオリジナルを求めようとはしないで、安直に手に入る情報を鵜呑みにしてしまう、とか。
学校という存在は、こうしたことに留意しつつ、これからの混沌とした不確定な世の中を生きていく生徒たちに、生きる勇気と術を与えてあげる場なのではないかと考えるようになりました。学習塾の先生方は、教科指導を柱としつつも、その教科指導を通して、きめ細やかに個々の児童や生徒にこのようなことを日々、実践していらっしゃると思います。学校よりも小回りが利き、その機動力を活かして未来の担い手を育てていらっしゃることに敬意を感じています。私立学校のひとつである本校も、目先のことに囚われず、世の中を広く、そして遠くを見て、がんばっていこうと思います。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
四谷警察署主催「TOKYO交通安全キャンペーン」に出演
(吹奏楽部・ソングリーダー部)
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