[理事長係の活動報告 其の8]
田中宏道

少し長くなるかもしれませんが、僕がここ最近で「へぇ~!」って思ったことをみなさまと共有して、広報原稿の筆を置きたいと思います。いま少しお付き合いください。
│ 鹿児島の知覧と鹿屋(かのや)
昨年9月に特攻隊基地だった、鹿児島の知覧と鹿屋(かのや)に学びに行きました。鹿屋は昨年7月にお亡くなりになった特攻隊の生き残り、裏千家・千玄室大宗匠が居らっしゃった場所です。芋焼酎「海」の社長さま、知覧の市長さまからもお話をいただける貴重な会でした。そこで「へぇ~!!」って思ったことから記します。知覧に少しでも関心が向きましたら、知覧観光大使を務めているる山近義幸さんの主催する「日本道」を検索ください。
│ 杉田水脈(みお)さん
知覧・鹿屋研修では、元国会議員の杉田水脈(みお)さんとご一緒でした。水脈からからも「へぇ~!」って思えるたくさんのことを学びました。杉田さん、とっても気さくで飾らず、オープンマインドな女性でした。マスコミは印象を悪くするために、一部を切り取って報道してるなぁとひしひしと感じました。
│ 女性が国会議員をするということ。
女性が国会議員をすると家族は離散する。 家族と同居はなかなか難しい。 そこを変えていかないと多くの女性が国会議員になるのは難しい。
│ 共産党
共産党国家を除き、国会の政党として共産党があるのは、日本とフランスの2国だけ。 他の国には共産党はない。政党として認められていない。他国の共産党はすべて地下組織。フランスでは政党としてなぜ認められたかというと、フランス共産党は、第二次大戦でドイツと戦った時に最後の最後まで逃げずにドイツと戦った。保守系政党は外国に逃げてしまった。最後の最後まで戦ったのがフランス共産党。最後まで戦ってフランスを守りたいという愛国心が戦後国民に讃えられて、今でもフランスには政党として共産党がある。ただしフランスでは、右も左も、保守系も革新系もフランス国旗が上がると国歌ラ・マルセイユを何回も何回も繰り返してみんなが歌う。共産党だからといって、国旗をないがしろにするようなことは一切なく、自分の国を大切にしているというのは当たり前のことだそうです。
│ 遺骨収集
第二次大戦での軍人の遺骨収集。これをやれていないのは世界の中で日本だけ。
│ 武士と軍人の違いは何か?
武士はジェネラリスト、何でもできなければいけない人。戦いだけではなく、国を平らかに治めるために、その国を豊かにする政策を考え、知恵を絞り、そして実際に行う。警察の仕事も行う。仲違いがあった場合にそれを仲裁する。政治を行うのも武士。民の幸せを願っていろんなことをするのが武士。
片や軍人はスペシャリスト。 だから一般的には軍隊のことしか考えない。平和を護るために、いかに戦争が起こらないように軍備を整えるかを考えるのが軍人。武士と軍人はその違いがある。 アメリカ軍の場合には、スペシャリストの軍人とジェネラリストの文民とがいろいろと議論する場がある。お互いに意見を聞く機会がある。また部下からも意見を吸い上げる場もあった。だから太平洋戦争で勝つことができたのではないかというふうに言われている。
(田中補足):マッカーサーが吉田茂首相に、第一次大戦を戦った日本の将校と、第二次大戦を戦った日本の将校では明らかに違った。それはなぜだ?と尋ねています。吉田茂は「そうですか?それはわかりませんね。」と答えたそうですが、後日、京都大学の哲学者・和辻哲郎さんに吉田首相が同じ質問をしたところ、和辻教授は「それは寺子屋に学んだ世代か、陸軍兵学校や海軍兵学校で学んだ世代の違いだろう。」と即座に答えられたそうです。まさしくジェネラリストとしての学びを幼少・青年期に受けた世代と、スペシャリストとしてしか学んでいない世代の違いです。幼少期・青年期には「養生訓」や「論語」の暗唱など、生き方を学べるジェネラリストとしての教育が重要だと感じました。
│ 沖縄を守るために
沖縄、平和祈念講演にある摩文仁(まぶに)の丘。 沖縄が日本から切り捨てられたみたいな報道や説明がよくある。それは全くの間違い。戦艦ヤマトは沖縄を守るために出撃した。戦艦ヤマトは特攻の一つとして出撃し、3500名の乗組員、撃沈されて3300名ぐらい亡くなっている。摩文仁の丘のてっぺんには日本47全都道府県の全ての旗が翻っている。日本の全ての県が沖縄を守ろうとしたという象徴である。 決して沖縄を置き去りにしたんじゃない。でも、摩文仁(まぶに)の丘への遠足などでは、沖縄が見捨てられたと主張したいがために、丘のてっぺんまで登らせず、全県の旗を見せないようにしているツアーもあるとのこと。
│ 特攻隊。知覧は陸軍。鹿屋は海軍。そして串本。
串本にも芙蓉部隊という部隊が特攻隊で居た。当時の特攻隊としては特別で、必ず生きて帰る、戻ってくるというのが原則だった。昼間は飛行場であることを隠すために飛行場で家畜を飼い、農作業をする。滑走路は農場や牧場のように見える。夕方になると、片づけて滑走路にして飛行機が飛び立つ。暗い中を飛び立っていくので見つかりずらく撃墜されることも少なかった。そうやって戻ってくることが絶対命令であったのが芙蓉部隊。芙蓉部隊のように命を守る特攻隊が主流であったならば、大きくいろんなことも変わったんだろうなと思います。
│ 最近の歴史の学びから
藤岡信勝先生の【塾人・先生・大人のための歴史講座】」という歴史講座を主催しています。3月・第7回は「聖徳太子と和の思想」でした。香川から山田塾の山田先生もお越しくださり、嬉しい講座でした。聖徳太子なので高校の友人から山岸凉子さんのマンガ「日出る処天子」(文庫本版・全7巻)も借りて読了しました。マンガ「日出る処天子」は、梅原猛さんの「隠された十字架」にヒントを得たマンガです。山田先生はかつて読んだ「隠された十字架」に惹かれて今回の聖徳太子の講座に参加してくださったそうです。この講座を含めて、最近の歴史の学びの中で「へぇ~!」って思ったことを記します。
│ 「歴史的トラウマ」
齋藤武夫先生の【日本が好きになる歴史授業】が今年も4月からオンライン&現地で開催されます。これを受講した精神科医さんが、〜精神科視点で見る歴史の大切さ〜を記されています。
2026/2月14日(土)
【日本が好きになる歴史授業】を受けるとトラウマケアができ、自己肯定感は上がる!「GHQによって植え付けられた学校教育の自虐史観は、子どもたちの自己肯定感を奪う、立派な『精神的虐待』なんです。」この言葉は、精神科として僕の胸にスッと落ちました。講演後の感想では、CDC(米国疾病予防管理センター)の「拡張版ACEピラミッド」の話をさせていただきました。「歴史的トラウマ」は、1番根本の層として確実に個人の自己肯定感やメンタルヘルスに影響します。これは医学的に認められている事実という話でした。
│ 世界一古い国歌「君が代」
ご存知かと思いますが「君が代」は古今和歌集に詠まれている歌です。(僕はこれを小・中・高等学校で教わりませんでした。) 日本の国歌はフランスなどの国歌とは違い、戦いの歌ではなく、安らかな安寧の歌です。「君が代」の「君」とは、当時は天皇のことではなく、自分の愛する人、旦那さん、奥さんを指し、「大君」と書いて初めて「天皇」を指します。だから「君が代」は、自分の大切な人が永遠の命を持ち、長生きし、幸せになりますようにと願った歌です。それが平安時代からずっと詠み継がれているのです。女性の和服・小袖、江戸時代、その小袖にはいろんな和歌が模様として描かれていたそうです。模様として一番多く描かれている和歌が「君が代」だと、大学で着物を専門に研究されている先生が仰っていまいした。
│ 日本の独立を守る。
歴史上、日本の独立が危うくなる3つの時期。侵略されないために頑張った為政者たち。その時期には、日本の政治の仕組みが大きく変わります。世界史から見た日本です。
①隋・唐から日本を守る。
日本の中央集権体制を作った聖徳太子・天智天皇・天武天皇・持統天皇・聖武天皇。ここまでで日本の完成。その象徴として、行基が各地を回り、民意に基づく寄付金を少しずつ集めた。2010年時点でのお金に換算すると4657億円の寄付金。東大寺の大仏は当時、世界一大きい鋳造物であった。大仏開眼供養には、中国・朝鮮・インドからの招待者も含めて1万数千人が参列する大イベントであった。
②スペイン・ポルトガルから日本を守る。
戦国大名の主な仕事は戦うことではなく、領地を安寧に治め、国を豊かにすること。それができなければすぐに謀反が起きてしまう。では、織田信長や豊臣秀吉は、何のために全国統一をしたのか?当時のアジア諸国の実情を見れば明瞭。東アジアを除くアジアは、全てヨーロッパの植民地になり、民はひどい仕打ちを受けていた。南蛮貿易を通して、信長はそれをよく知っていて、日本がヨーロッパの植民地にならないためには内戦などしている場合ではない、国家一丸となって日本の独立を守り通さねばならないと考えたからではないか?スペイン・ポルトガル国王フェリペ二世は日本と中国の植民地化を狙っていた。手段はキリスト教の布教。キリシタンは日本の領主ではなく、神の国スペイン・ポルトガルの味方になる。それがアジア諸国を植民地した手法。ちなみにインドネシアやマレーシアにイスラム教徒が多いのは、現地民同士が団結しないために、オランダがキリスト教とイスラム教を入れ、宗教対立を生むように仕組んだから。当時世界の鉄砲の数を見ると、世界で半分以上の鉄砲が日本にあり、日本は超軍事大国であった。また戦国時代であったために戦争も強かった。そこでスペイン・ポルトガルは先に中国・明を征服し、明の圧倒的な大勢の兵士を使って日本征服を企んでいた記述も残っている。豊臣秀吉の朝鮮出兵は、明を日本が先に征服し、日本の独立を保とうという国防のための出兵だと戦前の「国史」の教科書には書いてあった。豊臣秀吉の死によって明の征服は中断される。フェリペ二世も秀吉の死後1週間で死去。家康が全国統一を引き継ぐ。家光の時にはキリスト教信者(キリシタン)が秀吉の頃の3倍に増え、家光は国防のために鎖国を実施。信教の自由を奪ったみたいに学校で教わった記憶があるが、鎖国の趣旨は国防にあった。強国スペイン・ポルトガルがそれに従ったのは、日本が超軍事大国だったから。その後、非武装した江戸幕府は幕末に動揺することになる。
③産業革命を経た西欧列強から日本を守る。
幕末から昭和で戦争に負けるまでは、日本が西欧列強の植民地とならずに、独立を保つために必死になってきた時代。幕末は、幕府と討幕派は争いもするが、日本の独立維持という共通の目的のために、大きな点では一致協力して日本の独立を保った。その後の西欧列強の横暴さに対して真摯に向き合い、アジア世界を救おうとしてきたのが日本。道半ばで敗れた。
④敗戦・戦後80年。
そろそろ日本の独立をしっかり再考せねばならない時期がきているようです。子どもたちが、世界の他の人の分まで幸せを創り出す力を持つように教育の力で何とかしてやりたいです。
「へぇ~!」と思うことを思いっきり記させていただきました。ありがとうございます!
20260315記

