第192回サロンヒロキへようこそ。同期に戸川という柔道部員がいた。ボクの学生時代はまだ「柔道は体が大きい人間がやる競技」という認識が強く、軽量選手は少なかった。戸川は牛乳瓶のような眼鏡を掛けた愛らしいキャラだったので、クラスの皆からよくいじられた。「戸川。柔道で勝負しようぜ」とふざけてくるヤツも。彼は軽量級の人手不足で試合には出ていたもののあまり強くなく、クラスメートにいいようにやられていた。
中学高校に入ると、保健体育の授業で武道が登場する。うちの中学は否応なしに剣道であった。普段全く人気が無い剣道部であるが、この時ばかりは部員たちは皆の注目を浴びる。体操着の上に、倉庫に眠っていた防具をつける「足軽」スタイルには閉口したが。
体育で剣道をやる。多くの生徒は初体験でワクワクしたが、そんな興奮を余所に「ヒロキは本当に剣道が強いのか」疑惑が浮上した(一応レギュラー)。放課後体育館へ練習を見に来ればいいだけの話であるが、サッカー部の虚空へ飛ぶシュートとか、バスケ部の風になびく前髪とか、特に女子はそういうものしか興味を示さない。ボクは普段よほど冴えない人間に見えたのか、皆はボクの剣道の実力に興味津々なのである。
チーム分けをし、経験者ということでリーダーみたいな役目になった。授業で団体戦を行うことになった。「ヒロキ。勝負しようぜ」と番長(通称)が声を掛けた。自分は大将をやるからボクにも大将をやれというのである。この男は完全に舐めてるなと察知した。「ヒロキが剣道をやる」というので、多くのクラスメートが集まった。番長チームとの試合は佳境を迎え、大将戦になった。「始め!」の合図とともに番長は猛然と竹刀でボクをボコボコに殴りだした。「これ、剣道じゃないし」とボクはよけながらも機会を覗った。審判を務めた級友が試合を止めようかと迷っていた刹那、一瞬の隙にボクは強烈な面を放った。一本である。2本目も同じ展開。番長の振りをよけてよけまくって、再び一振り。小学2年からやっているから、理屈ではなくどのタイミングで打てば入るかなんて体に染みついているのである。番長は80回くらい竹刀を振り下ろし(なんかの恨みでもあったのか…)、ボクは2回振って勝負は終わった。暴力VS武道の仁義なき戦いは武道の勝利であった。
剣道部は当時学校で一番強い部活であったが、その後も放課後の体育館に来る子はいなかった。女子は相変わらず弱小バスケ部の前髪に夢中である。ボクはといえば、防具の臭さに嫌気が差しながら打倒〇〇中を目標に練習を続けた。体育の授業後、ボクへの評価が変わったかといえば微妙である。女子から告白された記憶はないし、男子からは相変わらずバレーボールのアタックを狙われる。ただ番長は、あの日以来「番長」というあだ名ではなくなった。ボクはそれに少しほくそ笑んで、部活の後重い防具を担いで道場へ向かうのであった。
カット!