私塾ネット中国 汗かき宮島歴史散歩 [2023.11]

仲間たちと出発、宮島桟橋

2023年「私塾ネット中国」秋の研修会は、前年の福山市鞆をご案内させていただいた「鞆の浦」歴史散歩に続き、今年は世界遺産嚴島の「宮島」歴史散歩のご案内をさせていただきました。まずは桟橋近くで記念撮影。あれ人数がちょっと足りないぞ。田中理事長はおられるなあ。この後すぐに合流された渡辺浩先生を除いても、まだ足りない感じ…。記念撮影後、全員そろって出発。

宮島は、島自体がご神体。あっちこっちに歴史の痕跡があります。

¦ 誓真さんの誓真釣井

さて、最初にご案内したのは、江戸時代のお坊さん、誓真さんが掘り当てた港町の誓真釣井(せいしんつるい)、井戸です。 

彼は、水不足に苦しむ島民のため、井戸を十ヶ所も掘りました。この井戸は当時の海岸線から数メートルの位置。こんなにところに真水が出るなんて、まるで奇跡です。この井戸はお店とお店の間の細い路地の奥にあり、観光客はほとんど足を踏み入れません。まずはこの井戸を案内して、歴史家河浜の実力を示したのです(笑)。

¦ 平安時代の表参道・山辺の小径

次にご案内したのも、観光客の姿のない道です。宮島で最も古い嚴島神社への参道の一つ、「山辺の小径」(やまべのこみち)。途中の女人坂を歩きました。河浜が大好きな道のひとつです。
女人坂にある古仏には趣があります。いくつかの野仏や「乳地蔵」と呼ばれるお地蔵さんは優しいお顔です。

さて、平安時代、平清盛は、高倉上皇と娘であり高倉天皇の中宮であった建礼門院徳子を連れて宮島を参詣しています。その頃の海岸線は、一番山に近いその道の辺りだったのです。高倉上皇の一行は、島の浦をめぐりながら、この辺りまで船で見物に来ています。

¦ 大規模な根継ぎ補修を終えた大鳥居

ここからいっきに海岸にでて、御笠浜(みかさのはま)というところから、嚴島神社を目指します。その前に大きく美しく建つのが大鳥居です。御笠浜から見た大鳥居は宮島八景の一つ。その大鳥居は、一見すると足元が海底に埋め込まれているように見えますが、実は、浜には、鳥居が沈み込まないように杭を打ち、その上に敷石を敷いた上に置かれているだけで、柱の重みで立っています。まったく驚きです。高さ十六メートルは奈良の大仏と同じ高さで、平清盛が、海上社殿を創建した平安時代末期には、もう建てられていました。現在の鳥居は8代目、明治の最初に建てられたもので、おととしまで大補修をしていたんです。

鳥居に掲げられた額には、神社側に『伊都岐島神』と、沖側には『厳嶋神社』と書かれています。幕末の討幕軍の総大将であった有栖川宮熾仁親王の揮毫によります。親王は、江戸末期、将軍家茂のもとに降嫁した和宮様の元許婚(いいなずけ)としても有名な人物で、名目上の総大将とはいえ、その和宮様の住む江戸へと進軍する運命となろうとは、運命の皮肉でしょうか。明治の初めごろは時の人だったんでしょうね。

¦ 五重塔と千畳閣

つぎに塔の岡という嚴島神社を見下ろす岡を訪ねました。そこに建ち宮島の空を支える五重塔は大変美しく、私はいつも、日本で一番きれいな姿を持った五重塔だと紹介しています。そしてすぐその隣にある千畳閣は、豊臣秀吉の命令で建てられた大伽藍です。その圧倒されるような大きさはすごい、中には江戸時代以降に神社に寄進された大絵馬の額もかけられています。実はこの建物は未完成です。で、天井も張ってありません。

千畳閣を渡る風に吹かれながら、西側の廊下の敷居に座ると、春には山のあちこちに桜が見え、秋には山々の紅葉と目の前の銀杏の巨木が黄色に染まるのが見えます。

¦ 嚴島神社

平安時代、平清盛は、この広島の国司(安芸守)となったことをキッカケに厳島神社を、大きく建て直しました。嚴島神社を平家の氏神にし、この壮大な海上社殿を建てさせました。国宝の平家納経をおこない、この地方の郡司で嚴島神社の宮司でもあった実力者ともに後白河法皇や高倉上皇の参詣を受け入れ、この神社で大接待を展開をしています。観光誘致の先駆者ですね。

当時の貴族たちは、自分の家の敷地に大きな池を作り、その池に張り出す形で屋敷を建てました。このような当時の様式の建物は、京都の宇治市にある平等院鳳凰堂で見ることができます。十円玉の表に書かれているので皆さんにもなじみがあるかもしれません。この様式が寝殿造ですね。その池のかわりに、瀬戸内海を池に見立てて、神社を建てたわけですから、清盛のスケールの大きさを感じます。

嚴島神社の回廊は、土足で歩ける国宝です。順路に沿って説明しながら先へと進んで…。

嚴島神社にはいくつもの神社がまつられ、回廊でつながれています。神社の集合体のようなもんですね。最初に見えてくるのが客神社(まろうどじんじゃ)です。進行方向左に奥から本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)が並んでおり、祓殿(はらいでん)は進行方向右側にありますが、これら各社殿は、すべて国宝です。

そのまままっすぐ進むとその最奥、朝座屋の斜め前あたりから、沖の大鳥居を見る景色は絶景です。夜、回廊に燈明を炊くと、本殿と客神社の両方からの燈明が海に向かって左右から延びるため、夜の景色のベストポイントでもあります(写真)。また清盛のころ千人もの僧が回廊に並び、燈明の下で読経したという催しを行っています。「千僧供養・万燈会」です。平安の夜の光のページェンントですね。その際には、清盛が座って景色を眺めたと言われている場所がそのベストポイントでもあります。その場所に行くと河浜が説明する前に福山市の広島若竹塾の佐藤先生が。すっくとそこに立たれて、さすがに良い位置を感じられたのだなと感服。

その後、いろいろ説明を重ねながら、平舞台・高舞台・本社本殿と見学の後、さらに細い回廊通路でつながった天神社(学問の神様)にも参拝。塾に通う受験生たち全員の合格を祈りました。

その後、表参道商店街で自由行動。もみじ饅頭、握り天、焼きがきなどの食べ歩きを楽しまれた様子。夕食の歓談も楽しいものとなりました。