エリア中国 西本雅明(パワーゼミ西本)
ついに待望の,対面での研修会&忘年会を開催することになりました! もちろん会社の方針で宴会を伴うような会には,まだ参加できない会員もいらっしゃいますが,なんとか少しずつ日常が取り戻せつつあると感じます。集まれる喜びだけに浸っていた会ですが,なんと千葉から田中宏道理事長がご参加の予定ですから,急に気楽ではなくなりました。(本当に感謝しています。お会いできることを純粋に楽しみにしています。)しかし,ちゃんとしなきゃと,緊張しています。今年は11月13日~14日に福山市鞆の浦で行います。坂本龍馬が率いる海援隊が大洲藩(愛媛県大洲市)から借り受けた「いろは丸」が紀州藩の船と衝突したのが鞆の浦の沖です。「いろは丸」には大量の銃器が積載されていたとの龍馬のはったり(?)から紀州藩は7万両もの賠償金を土佐藩に支払いましたが,龍馬は受け取る前に暗殺されてしまいました。1980年代に海底に眠る「いろは丸」は発見され,銃器が無かったことから(龍馬のはったり)と今では考えられています。さて,内容ですが(余談ですが「内容」と「無いよう」は音が同じですね),13日は増井先生のお力で,船を格安でチャーターできましたので,瀬戸内海に浮かぶ石切の島をめぐり,魚介の昼食をいただく予定です。増井先生の出身高校は村上水軍も黙るほどの実力者ぞろいですから,逆らっては福山では生きていけません(これも余談です)。そして河浜先生のガイドで鞆の浦の歴史散歩をした後は,瀬戸内の島々を眺めながらの大宴会の予定です。少しですが以下に鞆の浦の案内を記載しました。福山方面にお越しの折には,ぜひご連絡ください。ご案内いたします。(余談ですがガイド代はタダです)
《潮待ちの港としての鞆の津》
瀬戸内海の海流が鞆の浦を境にして東西に潮の流れが逆転することから,古代より潮待ちの港として知られていました。また鞆の浦には古い町並みが残り、江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみです。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は鞆の浦以外には例がないと言われています(余談ですが,行ってみたくなりましたか?)。
※2017年に重要伝統的建造物群保存地区に,2018年に日本遺産に認定されました。