エリア報告|長原 糸惠(のびのび学習教室・東京都)

今の私になるまで。

22歳で結婚をし、1987年までコンビニエンスストアを夫婦で切り盛りしていました。まだセブンイレブンなどができる前です。先進的な、コンビニは大繁盛でした。年商は、何億にもなった年もありました。朝8時から夜9時までフル活動です。

今では珍しくありませんが、商品説明を書いたPOP。その頃の多くのお店は、価格しか書いてありませんでした。私は違うのです。オーと分かるように、買いたくなるように価格に添えて書きました。丈の長いベストが欲しいという声を聞いたら毛糸で編み販売するのです。

色々なところから取材が来ました。TBSラジオ「どくまむし三太夫」が来店したこともあります。商売は順調でしたが、やがて大手のスーパーやコンビニが台頭し売り上げが落ち始めました。もう我々の商売が求められる時代ではないと。

そのころ夫が練馬区のキャッチボール(小学生の女子対象)のコーチをしていました。メンバーの母子家庭の子供3人の勉強をボランティアで見ていたところ、ひとり二人と生徒が増えてきました。店の奥の6畳の部屋で正座をして勉強する子供たち、まさに寺子屋です。どんどん申し込みが増えてきて、よっし!お店を閉めよう!店を改造して教室にしました。

私は、七変化できます。10歳の子供になったり、13歳になったり。子供と同じ気持ちで指導をしました。子供たちと一緒に原宿へ、下北沢へ、たくさん遊びました。損得を超えて楽しい毎日。これが私の天職だ!と確信しました。「手をかけず、目をかける。やったあ!の喜びを」これが私の指導方針です。

国語指導が一番大切と気が付いた時、私塾ネットさんの国語研修に参加させていただきました。研修会に参加しているだけではだめだと気付き、私塾ネットさんに加盟させていただきました。そして現在に至っています。

若い息子と同世代の先生方から目いっぱい吸収しようと今、張り切っております。私から吸収されても大丈夫なように若い先生方、新しい知識を蓄えてください。よろしくお願いいたします。

今月119歳で亡くなられたおばあちゃまがいらっしゃいます。私も現役で119歳まで指導がしたいです。