文責 中村 直人(私塾ネット副理事長)
2021年11月14日(土)に、越谷サンシティ ポルティコホールにて、NPO法人フォーユー研究会主催、後援:吉川市教育委員会・越谷市教育委員会、協力:つばさ高等学院・つばさスクールの「教育・不登校フォーラム 2021」というセミナーが、十分なコロナ対策のもとに開かれました。会場40名、Zoom参加の方を加えて約50名の参加者があり、午後2時より始まりました。司会は、フォーユー研究会理事の小野田光伸先生です。
【第一部】
1.フォーユー研究会代表理事の仲野十和田先生ご挨拶
フリースクールのつばさ高等学院を8年前に設立した時に、一番感じたのが、学校とフリースクールと地域が、ばらばらだったということです。同じ子供を扱っているのに学校と家庭でうまくいっていないという雰囲気もあり、フリースクール側も生徒の学校での事を良く分かっていないなどの点を、まず解消していくためにNPO法人フォーユー研究会を立ち上げました。年1回のこの会のほかに、学期に1度くらい「学びの会」というものを開いて、学校の先生方と地域と我々民間団体が同じテーブルに着き、いろいろ悩み事や相談をしています。そうして、学校と家庭の風通しが良くなれば、得するのは子供ということになります。みな子供に幸せになってもらいたいとの気持ちは、同じなわけですから。
今の子供たちは非常に価値観も含め多様化しています。昭和50年代から教育の多様化ということがでましたが、現場の方が多様化に追い付いていなかった感がありました。しかし、この4、5年だんだんとその価値観を取り入れようとなってきたのが現状ではないかと思っています。単純に子供が不登校になったということが、家庭や本人の原因かというと、社会的構造がそうさせているというのが正しい認識ではないかと思っております。したがって、社会全体でなんとかしていかなければならない問題と考えます。
実際不登校の子供たちを預かってみて、彼らは非常に気持ちがとても繊細で個性的です。是非、会場の後ろに展示してある、つばさの生徒さんたちの絵や書道や写真をご覧になってください。どうか、今日一日この会を通して皆さんが元気な気持になり、有意義な一日を過ごしていただければと思っております。
2.基調講演 秀峰スクール代表 金原伸充様
私は、静岡県富士市で学習塾をやっております。仲野先生とは、塾の勉強会で知り合い、私の兄貴分のような存在です。51歳の現在、学習塾以外に通信制高校・フリースクール・放課後等デイサービスという授業をやっております。通信制高校・フリースクールを始めたのがちょうど10年前。ある塾生の事から、こういう子たちの将来のために自分は何ができるだろうかというところから始め、最近はこちらの方に重きを置いております。
今日は、「自分らしさ」ということをテーマに話させていただきます。実は、私は身長が156cmと背が低いこと。父親が43、4歳の時の子で、父が祖父のように年取って見えるのが、子供の頃からのコンプレックスでした。小・中学生の時分は、それらを隠すために「明るく生きる」「スポーツを頑張る」と、心の中で決めていました。心の重荷のせいで、自分の本当の姿は何なのかということをその時はなかなか考えられなかった。つまり鎧を着て生きていたということです。
今こういう仕事をしていて生徒さんたちと接する時、私のやるべきことは鎧を背負っている子供たちの鎧を、ひとつずつ下ろしてあげることかなと思っています。生徒さんが自分の心の重荷を隠すように演じているのが、つらくなって私の所に来るように感じています。
その鎧は、ほかの人と比べることの物差しで作られていることが多いと思います。今日は、その物差しを無くしてもらえればと思っています。
自分の息子さんの高校中退、大学でのドロップアウトなど実体験を赤裸々に語られる。現在は、本人の経験を生かして手伝いたいという話もあること。また、父親が60歳過ぎて塾を経営し、大卒後父が亡くなるまで3年間一緒に働いたことで、その体験が財産となり、今は父に感謝している。など、実体験を多岐に渡って話された。
【第二部】 記念講演 アロマヨガセラピスト 町田美羽様
「発達凸凹キッズとママに寄り添うヨガインストラクター 町田美羽です。今現在キッズダンススクールの経営や療育の方でボランティア活動をしております。現在35歳で、19歳の長男・16歳の次男・8歳の長女・5歳の三男がおります。16歳で母となりました。私の苦難な子育てや人生、そしてなぜヨガインストラクターを目指したのか、今日はそんなお話をさせていただきます。」
私の生い立ち。母は、私生児で私を生む。父とは1度会っただけ。私を育てるため小さな居酒屋の2階に預けた。酒に酔った笑い声とたばこの煙がこもったその部屋で育った。母は、酒・ギャンブル・男におぼれていた。私が、中学の時に付き合った男はDV男だった。心身ともにぼろぼろとなる。母は、ある日蒸発する。父親違いの12歳の年の離れた姉が、14歳の私を引き取った。その頃の私は、荒れ果て非行に走り学校へも行かなかった。そんな時に、長男を身ごもる。長男は、とても育てにくい子であった。家では、壁に穴があくほど暴れ、3つ下の弟に暴力を振るうようになった。小学校に上がっても友達とのトラブルも絶えず、学校でも暴れる。問題行動を指摘され検査を受けると、軽度知的障害だった。いろいろな忠告も医療機関・支援学校を勧められても聞く耳を持たなかった。この子は普通の子として育てたいという気持ちが強く、その時々の感情で対応していた。ますます暴力がエスカレートし、被害にあっていた次男がある日学校へ行った朝、児童相談所から保護したと連絡があった。当時三男を妊娠中臨月の私は、長男の暴力からお腹と子供たちを守るのに必死であった。
彼は、とうとう刃物を持ち出すようになる。あまりにもひどい暴れ方で近所から警察に通報が入り、保護され児童支援施設に入所することとなった。わが子と離れ離れになるとは。自分は親との関係性が良くなかったため、どんなにつらい子育てであろうと、子供達が帰ってくる場所はいつも明るくし、お帰りなさい・行ってらっしゃいと言える環境を大事にしてきた。そのため、心が痛く悲しく言葉では言えないほどつらかった。児童相談所の方と話をして、少し落ち着きを取り戻せた中、次男が1か月で戻る。やがて、三男を出産。長男は、1年半施設でお世話になり、高校入学時期に帰宅した。自分を少しコントロールでき、今までの事も振り返れるようになり、家庭の中も良い方向に向かい始めた。しかし、高校2年の夏にパニック障害を起こし、学校に行けなくなる。半年ほどで、たまに学校に行けるようになるが、またトラブルを起こす。結局、中退することとなる。以前より、高校を辞める時は家を出る覚悟でと約束していたので、心配ではあったが彼は家を出て行った。その後、以前よりこだわりや不眠等があった三男を病院で検査する。結果、自閉症・不眠症・ADHDとの診断であった。覚悟はしていたものの、泣いた。自分を責めた。しかし、長男の経験から学んだことで、私は特性だらけの子育てをするのが私の運命なのだなと思い、母である私のできることをして、この子らしい生き方を歩んでいけるように、また新たな覚悟を決め歩き始めた。
「長男の時は、誰の助けもなく追い詰められる一方だったが、三男は多くの人の協力と助けがあり、そのおかげで、私は母としてだけではなく社会の中で生きていくという気持ちになることができました。
私のできることとして、人の役に立ちたい、助けたい、その一つがヨガでした。発達の問題を抱える子供たちや困り感の強い子供、生活に支障をもたらす毎日を過ごしている子供、そしてその子供たちを支える保護者にヨガを通して、苦難な人生を経験した私にだからこそ伝えられることを届けていきたい。そんな風に思い活動を始めました。私の人生は、ここではお話しできないくらい、もっともっとすごい人生経験をしています。つらく苦しい人生でも、あきらめなければ時間がかかるかもしれませんが、必ず光が差し込みます。」
長男も、自立して生活できるようになり、最近では家族全員が集まって食事をした際、過去の事を笑って話せるようになった。最後に、美羽さんの心からのメッセージ『諦めないでください(暗闇だった子育て生活に光が差し込むまで)』で講演は終わった。
【第三部】 トーク&ライブ
佐野碧さん(シンガーソングライター)& 仲野先生
初めは、仲野先生と佐野さんのトーク。仲野先生が、ストレートに佐野さんが高1で退学させられたことを持ち出し、なぜだと質問。(いいんですかね、こんなこと皆の前で聞いても。)また、幼いころお母様が碧さんを台湾など海外に預け、毎回さみしい思いをしたけれども、後にネパールで災害のボランティア活動をしているお母様の後ろ姿を見て、わだかまりが消えたお話もありました。仲野先生が今日のお話から、「親の後ろ姿(生き方)を見たときに、子供は変わるチャンスなんですね。」と、まとめられた。
仲野先生のギター伴奏で、1曲目:喜納昌吉「花 ~すべての人の心に花を~」、2曲目:つばさについてイメージする言葉を会場の人に言ってもらい、それをホワイトボードに書きだす。それを見ながら、仲野先生の循環コード演奏に合わせて、14もの言葉を入れて即興で歌うということをしました。お見事でした。3曲目:佐野碧「ただある声」。
【第四部】 パネルディスカッション
金原伸充先生・徳岡宏一朗様(弁護士)・町田美羽様・服部道恵先生(つばさスクール)、富田樹(つばさ高等学院卒業生)・池端康樹(つばさ高等学院生)、司会:小野田光伸先生
すみません。紙面の関係で省略させていただきます。
17:00終了後、個別の相談の場が設けられました。