全国研修10年の足跡②|蓮池薫先生ご講演レポート 中村直人

第16回大会
中村 直人(中村学院・神奈川県)

2018年4月22日大井町・きゅりあんにて全日本私塾教育ネットワークの全国塾長・職員研修大会&懇親会が開催されました。今回の講演者は、1978年夏に日本で拉致され、その後24年間を北朝鮮で過ごし、2002年に日本に一時帰国の形で戻ってから本年で16年目になる、あの蓮池薫先生です。現在は、新潟産業大学経済学部准教授をしておられます。午後3時に講演が始まり、そこから1時間半、熱をもってひたすらお話を続けられました。実体験に基づくその驚くべき事実、北朝鮮の内情等、初めて聞くそのお話に、会場は私語一つなく身じろぎもせずただ聞き入っていました。

「我々の家族は全員帰ってくることができたが、その2004年に自分の子供2人が帰って以来まだ誰一人帰ってきていない」。その先の読めない、見えない難しさはあるものの、状況が(米国トランプ大統領の北朝鮮との対話を模索するなど)少し動き始める兆候があるとのことであった。

20歳の中央大学生だった蓮池さんは、夏休みで実家に戻っていた1978年7月31日に今の奥様と柏崎の海辺でデートしている時に、北朝鮮の工作員達に拉致される。人気のない海岸で前から来た男がタバコの火を借りに来たので火を付けようとしたところを別の男に後ろから顔を殴られ、押さえつけられた。そのまま夜を迎え、大きな袋に入れられて沖にいた高速工作船に乗せられ、薬で眠らされたまま北朝鮮へと連れて行かれた。

その後、平壌付近のスパイ養成所でもある調査部のアジト「招待所」へ連れて行かれ、立派な革命家になれと教育を受けさせられる。拉致者をスパイに育成して各国に送り込み、情報収集や破壊活動・テロ行為をさせるためである。死にたいと考えたこともあるが、こんな所で死んでたまるかと思い、朝鮮語を学ぶように勧められたことで、いずれ役に立つと思い学習に励む。数ヵ月後には会話もできるようになった。24年の北朝鮮生活の中で、3つの大きな変化があった。

招待所での毎週あった思想教育がなくなった時、1度目の変化が起きた。引越しをさせられた後に結婚をさせられることになる。しかも、なんと相手は一緒に連れて行かれた彼女だった。拉致されて1年9ヵ月後のことである。ただし、日本語やこちらへ来てのことは話すなと釘を刺される。

翌年に日本語の教育係になるも、88年に中止。その年のソウルオリンピック妨害のため、前年に大韓航空機爆破事件が起きたせいと思われる。ここで2度目の変化が起きる。今度は作るなと言われていた子供を作ってもよいとの許可がでる。そして娘と息子の二人を授かる。

1990年に後ろ盾のソ連(91年崩壊)が敵国韓国と国交正常化をしたことにより、金日成(イルソン)は国連に加盟し、日本と国交を計るが拉致問題などで頓挫。94年金日成の死後、大飢饉が起き経済が疲弊する。後継の金正日(ジョンイル)総書記がアメリカ、日本との距離を縮めて経済協力を手に入れようとする。しかし、アメリカとはうまく行かず。あせっていたのか日本と戦後の請求権を放棄する代わりに早く経済協力をと考えていたようで、小泉総理の2002年の訪朝によって金正日総書記が拉致を認め、平城宣言が出される。日本側は核・ミサイル・拉致の解決を望むのに対し、北は国交正常化・経済協力を取り付けるという内容のものであった。北も拉致問題の進展がなければ、国交正常化は動かないとみて、拉致を認めることとなる。このことが3度目の大きな変化を起こす。地村・蓮池夫妻の一時帰国という形になっていった。

様々な駆け引き、北朝鮮からの不合理な調査書、帰国の際に強要される嘘、再調査の中の誤魔化し。拉致の話だけでなくその裏事情。蓮池さん家族の葛藤や日本に戻ったお子さん達が意外に早く日本に順応できたことなど生々しいお話が聞けました。

最後に、日本の拉致された家族のかたがたを思えば、一刻の猶予もならない。表題の夢は、自由であり自分のことを自分で決められる自由です。拉致された北に残されている方達に帰国してもらうこと。そして断ち切られた祖国・家族との絆をとりもどし、残った人生を生きがいを持って過ごしてもらいたいということです。拉致家族も高齢化が進み、解決は残された少ない時間との戦いなのです。日本政府の一層の努力また多くの方々に支援をしていただきたいとのことでした。

小学生の講演などで、よく悪い北朝鮮をぶっ潰せなどの声も聞くが、北の悪辣な指導部と普通の庶民を同一視しての敵視はいけない。日本の朝鮮の人たちへのヘイトスピーチもいけない。いずれは手を取り合っていける関係になるべきであるとおっしゃいました。

先生は、その後の各グループごとの討論の輪にもお入りくださり、懇親会にも参加されました。懇親会が盛り上がる中、興に乗られて北での体験として、マージャン・ゴルフの道具を手作りして遊んだことが心を和らげる一助になったという珍しい話も披露されました。

蓮池先生、すばらしいご講演本当にありがとうございました。